今、インドネシアのジャカルタに来てます

今、インドネシアのジャカルタに来てます

今世界ではイギリスのEU離脱、 トランプ大統領の対ロシア政策の方向転換による世界多極化へ移行する 重要局面を迎えておりますが、 戦後70年、意思決定権不在の日本政府は右往左往して何かをしてる振りするだけの待ちぼうけ政治を続けるだけです。 然るべく行動に出れば世界を牽引する国にすぐにでも返り咲ける日本が何も行動しない(出来ない)のは非常にモドカシイですが、せっかく与えていただいた日本の優良パスポートを使って世界飛び回って『来たる戦いの日』に向けて勉強に励みたいと思います。 さて、インドネシアってハッキリ言って 日本では有名なデヴィ夫人の旦那、スカルノ大統領が日本軍の支援を得てオランダとイギリスから独立を勝ち取った国、くらいの非常にザックリした知識しかありませんでした。

まずインドネシアがオランダの植民地になったのは1605年。

人口比0.5%のオランダ人がGDPの6割持っていたと言われる時代でした。 しかし1942年3月1日に今村均中将率いる第16軍、5万5千人はジャワ島に上陸し、 たったの10日間でオランダ軍は全面降伏に追いやられた。 そして当時オランダ植民地政府に捕らえられていた独立運動の指導者スカルノとハッタは解放され1945年8月15日に日本が無条件降伏した2日後に独立宣言をする。 18日にはインドネシア共和国憲法を採択し、 それぞれ、大統領と副大統領に就任した。 しかしすぐに独立出来た訳ではなくて独立を認めないオランダとの戦争は1949年12月までの4年5ヶ月も続いた。 その間日本軍の馬渕逸雄少将が密かに独立を応援するために インドネシア側に手渡した3万5千挺の小銃と装甲車、自動車など200台も活用された。 さらに3000人とも言われる日本人残留兵が独立戦争に参戦し、1078人が戦死したと言われている。

ジャカルタ郊外にあるカリバタ国立英雄墓地には27人の日本人が国葬されている。

現在6名の日本人がインドネシア独立に貢献したとして国家最高栄誉賞「ナラリア勲章(独立名誉勲章)」を授与されている。 日本の敗戦後、異国の地にとどまって独立戦争に身を捧げた名も無き日本人兵士達がいたとは驚きだ!

【西パプア(西イリヤン・ジャヤ)でインドネシアからの独立運動をしているグループは一体何者か?】

まず彼らはパプア人とオーストロネシア系メラネシア人であってマレー系アジア人や華僑よりもオーストラリアのアボリジニに近い。 見た目が全然違う。

 

以下はインドネシア新聞.comから引用

http://indonesiashimbun.com/politics/lupakan-masa-lalu-papua.html パプアは1949年にインドネシアがオランダから独立した後オランダ領ニューギニアとしてオランダの植民地に留まったが1961年、オランダがオランダ領ニューギニアの独立を承認すると、インドネシアはパプアに対し武力介入を開始、「西イリアン解放作戦」が始まった。 アメリカを中心とした国連はこの紛争の仲介に入り、1969年までにパプア人自身が自治権が行使することを前提に、1 963年以降のパプア行政権をインドネシアに委ねた。 1969年、パプア全住民による投票ではなく、インドネシア政府の統制下、インドネシア政府の組織した団体「民族自決協議会」によって行われたインドネシア伝統の民主主義的決定様式「話合い(musyawarah)」でパプアのインドネシアへの併合が決定した。

2003年にパプア州の中から 『鳥の頭』と呼ばれる半島が西パプアとして独立宣言する。 それまでの『明星旗』と呼ばれる西パプアの旗は掲げるだけで違法となった。 2004年12月1日filep karma氏はこの明星旗を掲げた罪で15年の刑を受けた。 1969年にパプアがインドネシアへの帰属が決まって以降、インドネシアの他の島々から120万もの移民が入り現在ではパプア人、メラネシア人とその他マレー系、華僑系インドネシア人の割合は半々にまでなった。 流入した人達の一部はパプア原住民のことを非文明的であり時代に逆行していると考えている。 彼らの使用武器はインドネシア治安維持部隊から盗んだアサルトライフル、 手作りの矢などだ。 『インドネシア政府は人権侵害、殺人などの多くの犯罪を犯してます。 我々は自由と正義、民主主義を望みます』 部族リーダー、アントン氏が言う。(2009年BBC) しかしながら独立運動を行うパプア民兵がいる限り インドネシアの治安維持部隊は配置され続け、パプアが含有する世界有数の自然鉱物源がもたらす利益を逃すまいとするだろう。

【真実を知りたくば『金の流れを追え』が鉄則。 誰が、西パプアの世界的有数の鉱物資源を持っているのか?】

パプアの資源を追え!

~ウィキペディアより抜粋~ 中央を東西にマウケイ山脈が走る。 オセアニア最高峰のプンチャック・ジャヤを有する。 マウケイ山脈の西側にあるスディルマン山脈は、鉱物資源が豊富である。 銅は世界第3位、金は世界第1位の埋蔵量である。 鉱山会社フリーポート・マクモラン社(本社米国ルイジアナ州)が1967年に進出、 1973年からエルツバーグ山で銅の採掘を開始し、 1987年グラスバーグ山で金脈を発見した。 現在(2000年代)は、銅・金・銀を合わせた採掘量は日産20万トン近くに達している。 ~抜粋終わり~

フリーポート・マクモラン社

~ウィキペディアより抜粋~ 2012年1月、インドネシア・パプア州のグラスベルグ鉱山開発に伴う環境破壊と、 それに抗議する住民への拷問・残虐行為を理由に、 世界最悪企業賞(パブリックアイ・アワード)の6位に選出された。 ~抜粋終わり~

グラスベルグ鉱山

~ウィキペディアより抜粋~ 1977年には自由パプア運動(英語版)が鉱山を攻撃した。 自由パプア運動は泥漿のパイプラインを爆破し、 数千万ドルの損害を出し、更に鉱山の設備を破壊した。 インドネシア軍は即座に反応し、800人以上を殺害した。 ~抜粋終わり~

世界的な銅と金のグローバル企業フリーポート・マクモランがパプアの鉱物資源を握っていた。 西パプア独立運動の自由パプア運動はフリーポートマクモランのパイプラインを攻撃、、、。さらに2016年、インドネシア政府はフリーポート・マクモランに対して輸出ライセンスの更新を断っている。 http://www.theinsiderstories.com/freeports-export-permit-expires-without-extension/ 今回、このフリーポートマクモランvsインドネシア政府vsパプア独立派という構図が謎解きをする鍵だと思った 1,ジャコ・ウィドド大統領は西パプアへの国際ジャーナリストの立ち入りを許可し 、西パプアの政治犯5名に対する恩赦を発表して独立派への懐柔策を取った。 http://indonesiashimbun.com/politics/lupakan-masa-lalu-papua.html 2,インドネシア政府はフリーポートマクモランから鉱物資源輸出ライセンスを取り返して 地元の利益に還元したいか。 これもパプア州に対する懐柔策とも取れる。 3,フリーポートマクモランが金の輸出が出来なくなる事はアメリカの支配層への打撃になる。 これはトランプのアメリカの軍産複合体締め出し政策、フィリピンのドゥテルテの麻薬撲滅運動=アメリカ支配層と繋がるアキノ家の締め出し、との連帯があるかも知れない。

【疑問】

末端のパプア独立運動サポーターは純粋に民族弾圧へ立ち上がってるが バックには人権問題を隠れ蓑に独立運動をサポートして パプアに傀儡政権建ててやろうという勢力がいると思う。僕が海外に来た時にいつも注目する点は やはり独立運動や反体制運動とその背後の支援者は誰かということ。 多くの場合はアメリカの各国国体分断工作機関である NEDや、FREEDOM HOUSE、USAIDなどCIA関連機関が反体制運動に資金援助して その国に傀儡政権を作ろうという魂胆が見え見えなのだ。

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  西パプアの明星旗と共に独立の意思表示をするイギリス人ラッパーのアカラ。 krumpingというダンスの創始者タイトアイズも西パプアの独立運動を支持。

 

この独立運動、 日本での知名度は低いが、フリーチベット運動に似た雰囲気を感じた。 ちなみにチベット独立運動はCIA主導であることは公然の事実だった。 https://m.youtube.com/watch?v=R_5LOPYzddY 強調文西パプア独立運動のウェブページによると https://www.freewestpapua.org 公式スポンサーはberthafoundation (温室効果ガスが地球温暖化に影響するなどの主張以外は至極まともに思える)や LUSHという石鹸の企業だ。 タイのタクシン派を支持して王政転覆を目指したり、 チュニジアやエジプトで反政府勢力に金をばら撒いてアラブの春を誘導する、 チベットで軍隊を養成する、 と言うようなNED、FREEDOM HOUSE、USAID、CIAが得意とする手口だ。目的は当然天然資源。

 

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