イエス・キリストが空白の16年間にインドで修行していた事を記述した古い書物

以下の記事はfeelguid.com

「BBCが証明、イエスはインドで16年修行した仏教徒イッサ」

という記事を日本語翻訳したものです。

僕は実はイエス・キリストが仏教徒だったという話は
インドのプネーにあるオショー・ラジニーシの瞑想者たちのコミュニーティーで聞いていて、
当時は教義自体が全然違うから、絶対違うと思ったものです。

しかし、キリスト教が世界支配の為の装置として利用されている経緯を考えますと、
いずれ真の歴史が知らされる日が来るのかもしれません。
今はこう言った意見もあるんだな、
と言う事でお読みください。
それではどうぞ。

世界で最も有名な人物の人生はとてもミステリアスな空白の時間がある。

パレスチナにおけるジーザスの活動や居住に関する西洋や中東の記録。
彼の13‐29歳の期間に関する聖書による記述がないのです。
これが「失われた年数」として知られる空白の時間だ。
この歴史に「ぽっかり空いた穴」は
1887年にある人物によって発見されるまではミステリーに閉ざされていた。

19世紀後半、
ニコラス・ノトヴィッチというロシアの医師は
インドとチベット、アフガニスタンを広範囲に旅をした。
彼は1894年に出版した本「The Unknown Life of Christ」の中に、
旅の経験と発見、知られざるイエス・キリストの人生について記述した。
1887年、旅の途中で足を骨折津してしまったノトヴィッチは
インドの最北部に位置する街レーにある
チベット仏院「ハミス寺院」で怪我を癒すことになる。

その寺院の僧侶はノトヴィッチに2冊のチベット語で書かれた、
ズッシリとボリュームのある、
とても古くて黄ばんだ書物を見せてくれた。

タイトルは「聖者イッサの人生

ノトヴィッチは寺院で療養する間、
最初の世紀にイスラエルの貧しい家庭に生まれて、
イエスと名付けられた子供
(イッサ=神の子)の真実のストーリーが記述された書物を翻訳した。

その「イエス」が13‐29歳の時期、
彼に教育を施した聖典学者達は、
彼のことを「神の子」読んでいた。

ノトヴィッチは224の文節中、200の節を翻訳した。
1887年に彼が寺院に滞在している間、
ラマの一人がイエスが辿り着いた悟りの境地についての全容を説明してくれた。

『イッサ(イェス)は偉大な予言者であった。
彼は最初にブッダ(覚者)が誕生してから22番目のブッダであった』

ラマはノトヴィッチに続ける。

『彼はその中でも一番のブッダであった。
ダライ・ラマは、神の霊性の一部を構成している。
宗教という範囲内に戻ってきてあなたを覚醒させたのは彼だ。
そして人々に善と悪の分別を授けた。
彼の名と彼の行いはこの聖なる書物に記録されている。
自我にまみれて過ちを犯した人々の真ん中で死んだ彼の存在の証を読み、
彼を拷問にかけて殺した異端者達の罪に対して我々は涙するのだ』

このイエスのインドで過ごしたとされる期間というのが完璧に「イエスの失われた年数」とマッチすると言う。


そして中東におけるイエスの生誕にもマッチする事は、
チベットにおいて、偉大なブッダ、聖者、ラマ、etcが死んだ時、
賢者達は星やその他の予兆を読み取って、とても長い旅に出る。
そして賢者達はラマの生まれ変わりの赤子を見つけるのだ。

やがてその子供が大きくなった時、
両親の下から離されて仏教の信条を教育する。
専門家はこれは聖書に出てくるイエスと
マリア、ヨセフを訪ねた賢人たちと同じだと言うだろう。

かくして、イエスは13歳でインドに連れられ、
仏教の教育を受けた。
その時代仏教はすでに500年も続いている宗教であり、
当然キリスト教は始まってもいない。

『イエスはカシミールに来て仏教を学んだと言われている。
彼はブッダの知性と法に触発された』

老齢のラマがIANSニュースの記者にそう話してくれた。
Drukpa派の仏教グループのリーダーGwalyang Drukpa、
このへミス寺院のリーダーもまたこのストーリーを承認している。

後に224節はロシアの哲学者で科学者のニコラス・ローリッチ(roerich)によって
「イエスの寺院時代(Jesus’s time at the monastery)」
として1952年に記述されている。

ニコラス・ローリッチは以下のように書いている。

『イエスはバラナシなどのいくつかの古代インドの都市に滞在している。
平和と調和に生き、
教えを説くイエスは全てのバイシャ(庶民)シュードラ(奴隷)の人々から愛された』

イエスはジャガナス(プリー)やバラナシ、ラジャグリハ(ビハール)などの
古くからの聖地で教えを説いた為に、
バラモン達の怒りを買い、
ヒマラヤに逃げ、そこで6年間仏教の修行を積んだ。

「イエスの住んだインド(Jesus Lived In India)」を書いたドイツ人学者Holger Kerstenもまた

『その少年は商人の一群と共にシンド(パキスタン)に到着した。
彼は仏教の法をマスターするためにそこのアーリヤ人達に住みついた。
彼は広く5つの川がある土地(パンジャブ)を旅をして、
短期的にジャイナ教徒のところに滞在した後ジャガナスへと進んでいった』

と書いている。

そしてBBCのドキュメンタリー
Jesus Was A Buddhist Monk」では
専門家がイエスが実は磔の刑から脱出して
30代半ばになってかつて彼がこよなく愛した土地へ戻ったのだという説を理論化した。
彼は死刑を逃れただけではなく、
バビロニア皇帝ネブカデネザールの暴虐を免れたアフガニスタンのユダヤ人入植者を訪問した。

地元民が認識するところによれば
イエスは数年間カシミールの渓谷で過ごし、
80歳まで幸せな人生を送ってから亡くなったそうだ。

16年間の少年期、青年期に加えて晩年までの45年間、
つまりイエスは61年ほどインド、チベット、その他の近隣諸国に住んでいたことになる。

地元民は現在インドが実行支配するカシミールのスリナガルにある
ロザバル寺院に埋葬されたのだと信じているという。
BBCがその寺院を訪れている。またBBCが何を発見したのか
ここで読める。

翻訳は以上になります。
さて、いかがでしたでしょうか?
本文には無かったですがBBCのドキュメンタリー番組の方では
カシミール大学の教授が出てきてカシミールの歴史書には
イスラエルからやって来た予言者ヨササと言う予言者について記載されている。
このヨササがイエスキリストだと教授は主張しておりました。

この辺が今後多くの研究者によって自由に研究されると面白くなってくるかと思います。

モーゼが出エジプトの後40年荒野を彷徨ったと言うのは嘘だというミームがありました。
グーグルマップによると6日でイスラエルに到着できるとの事です、、、、
ですからキリストがカシミールに徒歩で行くのも物理的には全然可能です。
いずれにしても、もっと学術的なデータが欲しいですね!

 

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