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サイリル・ラドクリフ -カシミールにインドとパキスタンの国境線をワザと引かなかった男-

投稿日:2017-08-15 更新日:


今日はインドの独立記念日。
といっても、僕の周りのインド人は
家族でプールに行ったりただの休日という感じでしたね。

ほぼ同時にイギリスから独立宣言をしたインドとパキスタンは
0年もの間憎しみ合ってきました。
その理由とは、、、

当然のことながら大英帝国、もとい東インド会社による
2世紀に渡るインド搾取を良く思わないインド人ばかりでした。
そこに第二次世界大戦が勃発して
日本軍とドイツ軍によりイギリスの力が一時的に後退したのも
相まって独立運動の機運が一気に高まった。

イギリスはインドを支配する際に
「Divide & Rule=分割統治」という手法を使った。
それはムスリムとヒンドゥー、スィク、クリスチャンに
それぞれ対立構造を持たすことだった。

もちろんイギリスが来る以前にも宗教対立はありましたが、
宗教を言語と民族の上に置き、
計算して宗教コミュニティー同士の対立を煽ったのはイギリスだ。
インドの紙幣には17の違う言語が書かれてあり、
イギリスからすればこの17の言語の壁が民族団結の妨げとして重要だった。

そして少数派グループに国の運営に関わるような重要ポストを占めさせる。
「マイノリティー支配」です。

こうする理由は至ってシンプルで、
お互い階級闘争、宗教闘争を続けてくれたら、
我々(真の支配者イギリス=東インド会社)は安全だ、
ということです。

2000人という圧倒的少数の駐在イギリス人が
インド全体を支配していたと言われています。
イギリス人は国の重要ポストに少数派のスィク教徒を指名して、
彼らを通じてインド運営することによって
インド国民から直接の批判が来ることを防いだのです。

もちろん、日本でも外国人勢力が
少数民族を代理人に指名して日本を支配する
「マイノリティー支配」は未だに進行中のことです。

後のパキスタン建国の父、
政治団体ムスリム・リーグ(インド・ムスリム連盟)の党首、
ムハンマド・アリ・ジンナーはイギリスが去った後には
イスラム国家の樹立することを訴えた。
その時、第一次大戦が始まって、
イギリスはインドが世界大戦をイギリスの為に戦ってくれたら
独立してもいいよ、と約束した。

インドはイギリスのために戦ったはずだが独立はなかった。

その後20年経って、第二次大戦が始まった。
イギリスは、今度こそ独立してもいいから、戦ってくれ、と言った。
この時のリーダー、マハトマ・ガンジーやネルーはこれを拒否した。

しかし、ムスリム・リーグ党首のムハンマド・アリ・ジンナーは,
イスラム国家樹立のお墨付きをいただく為にイギリスに協力して出兵した。

フランスのダンケルクの戦い
(イギリス、フランス、ベルギー軍による
ダンケルク地域からの一大脱出作戦=ダイナモ作戦。
連合軍、ナチス軍両方に1万人の死者が出た)
にはインドから派遣された騎馬兵が連合軍として戦闘に参加した。

http://timesofindia.indiatimes.com/india/how-nolan-forgot-the-desis-at-dunkirk/articleshow/59719803.cms
クリストファー・ノーラン監督・脚本・製作による
2017年の戦争映画『ダンケルク』(Dunkirk)では、
インド兵の存在が丸々なかったことにされている、
とインドメディアは怒っている。

インドとイギリスの間のダンケルクに
インド人が参戦した、していないの議論は,
1990年代にイギリスのコメディアン、
バーナード・マニングがBBCのトークショーで
「パキス(パキスタンや南アジア出身の人達に使う侮蔑語)はダンケルクにはいなかった」
という発言が炎上した。

Wikipediaにもインド兵の参戦については書いていない。(インドの人加筆編集しなさい)

インドから騎馬隊がフランスに到着したことを知らせる当時の新聞。

 

第二次大戦終了後、
イギリスはインドからの撤退を進めていたが、
これまでイギリス政府に協力することによって担保された
独立運動で多数派ヒンドゥー勢力と対立していたイスラム教徒たちは、
イギリス撤退後の状況を恐れ始めた。

実際に多くのヒンドゥー教徒たちは
イスラム教徒たちが
国家を分断する政策を掲げていたので激怒していた。
まんまと国家分断を支配の糧とするイギリスの分割統治理論に
まんまとハマってしまったインド人たち、、、、

ヒンドゥーとムスリムの対立はエスカレートし、
イギリス撤退の過渡期には、
殺人、誘拐、放火、強姦、強制的な改宗、民族浄化など
様々な暴力が巻き起こった。

4000人のヒンドゥー教徒が殺された
1946年8月の「カルカタ大虐殺」を機に、
イギリスは1948年にインドから出ていくことを約束。

しかし宗教的対立が激化した最中の
イギリスの撤退は決して平和的には行われなかった。
そもそも全部、イギリスの計算通りの動乱だったに違いない。

ムスリム・リーグのジナーは
この機を逃さずにイスラム国家建国を主張した。
ガンディもネルーも
反対したが事態はすでに収拾がつかない状態だった。

さらにイギリスが1947年8月に1年間前倒しでインドから出ていくと発表。

サイリル・ラドクリフ=CYRIL RADCLIFFE、がインドを分割する為に派遣された。
この弁護士は今までパリより東に行ったことがなかったと言う。
彼に与えられた任務は一つ、
たったの36日で宗教、鉄道、運河を考慮して
国境線を策定してインドを分割させることだ。
結果、彼は期限より3日早く仕事を終えた、、

これが所謂、
西パキスタン、インド、東パキスタン(現バングラデッシュ)の国境線だ。
そしてこの国境線が決まったという事は
インド独立以降まで秘密にされた。

ラドクリフにはまだやり残した仕事があった。それはカシミールにおける国境線を決めなかったことだ!実にワザとらしい!

8月14日、パキスタンが独立を果たした。
インドは翌8月15日に独立。

8月17日ラドクリフライン=Radicliffe’s Lineが施行される!

 

カシミールのインドパキスタン国境をワザと決めなかった国境委員会委員長ラドクリフ。

Radcliffe’s Line=ラドクリフ・ラインが引かれて以降
700万人がインドからパキスタンに移動した。
さらに700万人以上の人達がパキスタンからインドに移動した。
その過程の中で50万人とも100万人とも言われる人々が
殺人、飢餓、毒殺によって亡くなったと言われている。

1947年8月の後遺症からまだ立ち直っていない、インドとパキスタン。

http://edition.cnn.com/2017/06/21/asia/india-arrest-pakistan-cricket/index.html

インドでは、クリケットの国際試合で
パキスタンを応援したり、祝杯したら逮捕される。
2017年6月18日にあった
ICC杯チャンピオンズリーグ・トーナメントでのこと。

マディヤプラデッシュ州の警察の発表によると
15人のイスラム教徒たちが
「パキスタンクリケットチームの勝利を祝って、
反インド的スローガンを叫びながらクラッカーを鳴らしていた」という。
ところが近隣住民が通報し、
駆けつけた警察により15人みな捕えられた。

罪状は重罪に値するSedition=扇動罪であって
男たちは最大で14年間刑務所に入る可能性がある。

これまでカシミールの国境線を巡った戦争を3回行い、
2017年現在でも国境線、水資源などの問題も含めてまだまだ紛争中だ。
しかし、インドとパキスタンの紛争の原因は
東インド会社、海外勢力による分割統治であることを
忘れてはならない。

 

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Kori
海外こもり歴10年突入。
中米、アフリカのスラム生活から
ドバイの高級アパート生活まで、
幅広く世界を見る視点を養っておる最中であります。
ライフワークはダンス。
趣味は絵画に外国語。
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