2010年タイ政府軍VSタクシン派=赤シャツ「虐殺事件」の真相

以下の記事は、タイを基盤に調査報道をしている
国際ジャーナリスト,トニー・カルタルッチ氏から送られてきた記事の翻訳です。

2010年に赤シャツがバンコクの街中を占拠するデモをしていたのは日本のニュースでも流れていました。
しかし色んなニュースを見ても、、
アムネスティ・インターナショナルのような人権団体のHPなど見ても、
政府軍が無防備なデモ隊に発砲したと言われているのです。

しかしジャーナリストのトニーカルタルッチ氏は
「いや、これは赤シャツの中に武装組織がいて、ここと政府軍が交戦して、
後になってマスコミとタクシン派がグルになって全部政府軍のせいにした」

と言っていたので。
証拠を見せてくださいとのメールを送ったところ、
今回の記事が送られてきましたので、翻訳いたします。

記事提供していただいたトニー・カルタルッチ氏に感謝いたします!

それではどうぞ。
記事原文はこちら↓
http://altthainews.blogspot.com/2013/12/thailand-former-pm-abhisits-murder.html

タイ:政治的な「殺人裁判」が始まり、2010年の暴力の真実が暴かれる

この劇場型裁判は政治的なものであり、
正当性をさらに損なうだけで、
2010年の暴力についての真実を明らかにする役割を果たすだろう。

2013年12月12日(トニー・カルタルッチ)
– 現在、国外逃亡中のタクシン・シナワトラは、
2年の懲役刑と係争中の法廷判決を逃れた。

しかしアピシット元首相はタクシンとは違い、
タイに留まり、明らかに政治的に動機付けされた裁判であっても法廷に立つ道を選んだ。

AFP通信の「2010年の弾圧による殺人罪で告発されたアピシット元タイ首相」
という記事では、
2010年のアピシット政権下で起きた軍隊とデモ隊の衝突では、
軍隊が発砲し、90人以上が死亡し、
約1,900人が負傷したが、
被害者の「ほとんどが非武装」のタクシン派=”赤シャツ”のデモ隊だったとした。

タイでは2006年にタクシンが軍事クーデターで追放されて以来、
血が流れる政治的混乱が多発している。

検察はアビシット元首相と彼の副官ステップ・タウスバンが
治安部隊に殺人命令を出したと訴えている。
12月に正式に起訴されたオックスフォード大学出身のアビシットは、
裁判には「政治的な意図」があるとして無罪を主張した。

「ほとんどが非武装」というAFP通信のフレーズに注意することが重要である。

つまり西側メディアもこの様な不明瞭なフレーズを使って、
政府軍が武装兵と交戦したことを暗に認めている。
しかし政府が単純に90人以上の無実の人々をマシンガン掃射したようを印象を植え付けている。

もちろん西側メディアがこの様な修辞的を
シリア、リビア、エジプトでも使用して来たのは言うまでもない。

残りの話
アピシットは
「アピシット前首相、治安維持命令に関して弁護する
(原題Abhisit Vejjajiva, Thai ex-PM, defends crackdown order)」というBBCの記事の中で、
軍隊による発砲は武装兵との衝突の結果であるとの主張をした。

BBCは次のように報告した。
彼は、BBCに対し、武装兵が発砲してきた時、
政府軍は行動する以外「ほとんど選択肢がない状態」だったし、
“我々は、デモ隊と交渉しようとしたが、
彼らは私たちが提供した取引を受け入れなかっただろう”と述べた。
「残念ながら、私たちは街の真ん中にあったその様な状況に直面していました…
秩序を回復させるのは私たちの義務でした」

アピシット氏は、
有罪ではないことを証明するために戦うと述べたが、
「何らかの理由で裁判所が有罪判決を下した場合、
私はそれらを受け入れるだろう。それが、物事を終わらせる方法だ」

追放された指導者タクシン・シナワトラを支持した多くの人たちが
2010年3月にバンコクの金融地区を占領した。

4月になってデモ隊が商業地区の中心部まで移動し、
警察が彼らを排除しようとした時、事態はバイオレンスに転じた。
彼らは武装した政府軍隊が赤シャツキャンプに入り、
バリケードを突破した5月19日までそこに陣営を組んだ。
衝突の過程で90人以上が死亡した。

これらの主張は、
BBCが政府の残虐行為として取り上げているこの事件から、
政府が逃れる為に捏造した、という訳ではない。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、
ビデオと証拠写真に基づいて、
BBCが誤魔化している4月の暴力行為の詳細、
重装備の武装勢力による政府軍への先制攻撃があったことの詳細を記述した。

「カオスへの崩落」全62ページ。ヒューマン・ライツ・ウォッチ。
(原題Descent into Chaos) (PDF形式)https://www.hrw.org/sites/default/files/reports/thailand0511webwcover_0.pdf

軍隊が赤シャツ陣営に移動しようとすると、
M16とAK-47アサルトライフルによる重装備をした男たちの攻撃に直面した。
それは特にRajdamnoen通りのKhok Wua交差点だ。
彼らはまた、M79からグレネードを発射したりM67手榴弾を軍隊に投げつけた。
デモ隊や観光客が撮影したニュース映像やビデオには、
血を流して意識を失った何人もの兵士
(ハイレベルの軍事的武装をした男達含む)が地面に横たわっているのが映っている。

明らかに、
西側メディアによって描かれたデモ隊の姿は、
荒い造りの投石器と石ころで武装しているだけであったが
実際にはそれは軍事レベルの重装備をした兵士達を隠すためのカバーであった。
2010年4月10日に起きた致命的な銃撃戦によって、
7人の兵士と数十人の傍観者を殺害された。

目撃証言はまた、
デモ隊側スナイパーが意図的に自らの陣営を標的にして
紛争をエスカレートさせた事を示唆している。


ビデオ:アルジャジーラが放映した2010年4月10日のビデオ映像には、
タクシンの過激派が戦術的にAK-47とM16の2種類のアサルトライフルを採用していることをはっきりと示されている。
これらの武器に精通していない読者、
そして00:35秒の時点でタクシン武装勢力が武器を持っていることを確認するのが難しい人は、
ライフルの照準装置(照星)を確認すればよい。
AK-47の照星は銃身の最後に位置していて
コンペンセイター(発射反動を抑える装置)と一体化されている。
一方でM16A2の照星はハンドガード(銃身を覆っているカバー。被筒)の端にあり、
照星とコンペンセイターの間にかなりのスペースがある。


画像:タクシン・シナワトラの過激派は、
ハンドガードの下にM203グレネードランチャーを取り付けたAK-47、M16を採用していることが確認できる。
明らかにM16の5.56ミリの銃弾で殺害されたのは
政府軍による銃撃の犠牲者だけではなかった。


画像:M16A2の照星をはっきりと示した上記映像の静止画像。
ここで非常に重要なのはタクシンの過激派はM16で武装していたと言う事だ。

タクシン側の政府非難というのは政府軍だけが銃による装備をしていたと言う前提に基づくものだった。


画像:AK-47。
(M16と比べて)よりコンパクトでより厚い構造の照星は武器の銃身の最も端に付いている。


画像:M16A2。
ハンドガードの隣にある照星の位置とコンペンセイターの間にある長い銃身部に注目してください。

赤シャツの国際スポークスマン、セアン・ボーンプラチョン(Sean Boonpracong)は
ロイター通信に対し、4月10日の大量殺人に参加した政府軍は、
黒い布を纏った謎の武装勢力を含む。彼は言った。

「彼らは”スイカ”(外側は緑だが中は赤い=タクシン派)と言う名で知られている。
4月10日の弾圧で目撃された黒ずくめの武装した男たちだ。
「彼らは現状に反対する軍隊内部の秘密の部隊である。
彼らがなければ、さらに死傷者が増えていただろう」

と述べた。

この武装勢力のリーダーとして疑われている
「セ・デェン」の愛称で呼ばれるカティヤ・サワディポール将軍は、
M79グレネードランチャーを搭載した「白兵戦」のために
訓練された300人によってデモ隊は武装されており、
彼がその指揮を取っていることを認めたが後のインタビューではこのコメントを撤回した。

4月10日から、
抗議の終わりを告げた5月19日の広範囲な放火まで、
毎日、夜間の銃撃戦、手榴弾攻撃、狙撃兵の射撃は90人以上の命を奪ったとされる。
これには9人の兵士と警察の死と、
M79の手榴弾攻撃で殺害された女性、プロテスターが建物を略奪している間に
他のプロテスターが火を付け、少なくとも2人が煙の吸入で死亡した。

残りの死亡者は、
兵士と重武装勢力との交戦によって死亡したジャーナリスト、
傍観者、医療従事者、プロテスターだった。

タクシン派の政治家は
AFPなどの欧米有力メディアと共謀して、
今日までのこれらの出来事を政府軍による「非武装の90人の虐殺」として描写しようとしているが、
政府軍がのデモ隊サイドの武装勢力に対して攻撃していた事は明らかである。
このことは武装勢力のリーダー自身が認めているのだ。

“殺人罪”

バンコクポストの記事
「DSIはアピシットとステップを起訴(原題:DSI charges Abhisit, Suthep)」は
起訴理由を以下のように説明している。
[DSIの責任者]タリット氏は、
2010年の政情不安の最中に起きたタクシー運転手の死亡を受けて、
刑法第59条、第83条、第84条、第288条の下で、刑事裁判所の裁決に基づいて
アピシット氏とステップ氏を起訴した。

アピシット氏とステップ氏は、この訴えを認めたために水曜日に召集される。
裁判所の裁定は9月17日、2010年5月14日の夜、
ラチャプラロップ・エアポートリンク駅近くで治安部隊によって殺害された
ヤソトン県のタクシー運転手、44歳のパン・カムコン(Phan Khamkong)の事件に基づく。
兵士は警備区域に向かって走行していた不審??なバンを止めるために
発砲したが近くを歩いていたパン氏に銃弾が当たった。

裁判所は、戦争兵器として使用される高速弾でパン氏が殺されたと述べた。
当時アピシット氏は首相、
ステップ氏は副首相兼緊急事態解決センター(CRES)のディレクターであり、
赤シャツの抗議集会への取り締まり責任者だった。
これは、ロヒンギャ・奴隷キャンプがタイの領土で運営されていることを知っていたが、
調査や介入を行わないことを認めたのと同じDSIである。
(*KORI注*近年ロヒンギャがミャンマーで虐殺されていると言われている。
ロヒンギャの国際関係を調べてみよう)

残念ながら、
これは現在(この記事は2013年)のタクシンの傀儡政府によって
政治的モチベーションを与えられた劇場型裁判である。

政府軍と武装勢力の交戦中、
両陣営によって「高速弾丸」が使用されていた。
具体的には、タクシン派の武装勢力によって採用されたM-16から発射された
NATO 5.56mm口径弾が明白に観察された。さらに2010年4月10日、
待ち伏せ攻撃によって退却した政府軍が残した多数の軍事兵器が
タクシンの「赤いシャツたち」によって押収された。


画像:タクシンの過激派は、自分たちが所有するM16を戦闘に持ち込んだだけでなく、
その夜、赤シャツの武装組織の待ち伏せ攻撃の後、混乱して逃げたタイの兵士達から大量の武器を押収した。

 

 

パン・カムコン氏を殺した弾丸が、
政府軍所有のライフルから発射されたものなのか裁判所が証明することが出来ない限り
そのライフルが政府軍兵士の手から発射されて彼を殺したという話は、
タクシンが政治的にテコ入れして他の多くの人たちを殺したように、
彼の死も私兵を使った仕事であった可能性もある。

2010年春のタイ・バンコクの通りは、
「犯罪現場」を構成するものではなく、文字通り戦場だったのだ。

BBCは、この進行中裁判の背後にある、
明らかな政治的動機を読者に知らせない。
タクシン・シナワトラは依然として欧米からの支援を引き出している。

この欧米の支持は引き続き、
彼の妹インラック(この記事が書かれた2013年当時)が率いる彼の代理政府として機能し続ける。
元タイ首相アビシットと元副首相ステップは有罪になることはないだろう。

この劇場型裁判はタクシンの2年間の懲役刑を赦免し、
2つの逮捕令状を免除するよう、
タイの支配層にプレッシャーを与えるように設計されていることは、
タイ国民によって広く認知されている。

タクシンは現在、自らの有罪判決、令状、懲役刑を回避するために
亡命者として暮らしている。
彼はまた、無数の保留中の裁判に直面している。
なにより、麻薬取引に関与していない者がほとんどだった、
90日間で3,000人が殺害された
「薬物に関する戦争(War on Drugs)」の報復にも直面している。
その翌年、85人の抗議者が1日で殺された。(タクバイ)
翻訳は以上です。
http://altthainews.blogspot.com/2013/12/thailand-former-pm-abhisits-murder.htmlより。

 

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