タイタニック号轟沈テロ、天皇と英米で合意した金隠し、蒋介石の金を裏付けに発行した米ドル、ドラゴンファミリー、ルーズベルト毒殺

戦後カバルによって奪われた金が保存されているというグローバル担保口座の持ち主=ドラゴンファミリーの代理人を名乗るニール・キーナン氏のウェブページから翻訳掲載します。「金の動き」として歴史を見る視点は非常に面白いです。

http://neilkeenan.com/history-events-timeline/

~翻訳開始~

戦後の一連の歴史イベントを理解するにはスカルノ大統領(M1&NAM)とケネディ大統領の重要なつながりを理解する必要があります

米国が外国マフィアが所有する株式会社アメリカとインチキ連邦準備制度、ゴロツキCIAから離脱するためには、スカルノ大統領からケネディに貸し出された金の担保資産を使って金に裏付けされた「米国財務省券(公共貨幣)」を発行する必要がありました。

もしケネディーとスカルノの計画が成功していたら今頃アメリカ人は負債ベースの借金奴隷システムと秘密政府から自由の身になっていたことでしょう。またそれは中央銀行制度に支配されるG20の国々を解放へ導きます。

次にケネディとスカルノは44か国のみ支援する不公平なブレトンウッズ協定を取り消し、(当時の)120カ国以上の非同盟諸国を含む新しい合意を書き直し、彼らがグローバル担保口座(GCA)に完全なアクセスを出来るようにしたことでしょう。

実際には今まで西側だけしかGCAにアクセスできませんでした。これらのGCAはもともと、私たちの世界を革新的に変革させる真の人道プロジェクトを意図していましたが、この銀行カバルによって不正使用されてきました。

ロンドン/米国連邦準備制度カルテルによる「乗っ取り」

グローバル担保口座の背後にある闇の歴史は約250年前に遡ります。19世紀初め、ロスチャイルド家のグローバル銀行およびロイヤル・ファミリーたちの長期的な戦略は実に単純でした。グローバル通貨による支配を通じて権力を維持するためには、その裏付担保である金供給をコントロールすることです。金と債務、これが本質です。

1910年、民間クーデターを起こして最終的に連邦準備銀行制度を設立

連銀創設の為の秘密の議論するのにうってつけの場所がジキル島でした。連邦準備制度という名前は、米国の銀行業界をコントロールする12の中央銀行に与えられた名前です。

1910年11月、アルドリッチ上院議員は、いくつかの銀行家と経済学者に鴨撃ちのための遠足という名目でジキル島の会議に出席するよう呼びかけました。そこで金融専門家たちはアメリカの銀行システムを再構築し、将来の経済恐慌を排除する方法と創造する両方が模索されました。

1912年、タイタニック号テロ、ロスチャイルド・カルテルによるクーデター

モルガンと他の金融業者が所有していたタイタニック号は億万長者達を大西洋横断の旅に誘い出すことに成功しました。実はタイタニック号に乗船した億万長者たちは皆、自分達の資産に悪影響が出ることを懸念して米国の民間中央銀行(FED)を作る計画に反対していたのです。

タイタニックテロで死んだこの3人の総資産は今に換算すると110憶ドル。全員FRB設立に反対していた。

タイタニックの事故は、ロスチャイルド・ロックフェラー・モルガンや、その他のアメリカ、フランス、ロシア革命の資金調達と実行に携わったニューワールドオーダーの家族群によって意図的に起こされた。このグループはアンドリュー・ジャクソン(未遂)、エイブラハム・リンカーン、キング牧師、JFケネディの暗殺、そして1916年のルシタニアの沈没、真珠湾、そしてベトナムのトンキン事件の偽旗作戦を実行して米国を戦争へと誘導した。

1912年民間FEDによるUSAの買収。株式会社アメリカの誕生

 

1912年に、米国元来のトラストマネジメント機関(米国)は、連邦準備制度として業務を行う銀行のコンソーシアムによって購入されました。1913年までに、彼らは「連邦準備制度法」を押し進め、法を通じ、アメリカドルの価値を下げ続け、米国を株式会社アメリカとして事破産させる目的のアジェンダを始めました。

連邦準備制度理事会(FRB)はロンドンシティの総本山、スイス、国連憲章、IMF、WTO、そして最も重要なBIS(国際決済銀行)から所有され、コントロールされている。

スイスのバーゼルにある国際決済銀行(BIS)は、G7諸国の中央銀行を統括しています。米国の法的制度(司法)は独立したロンドンシティのクラウンテンプル・バーから管理されています。

1921年三国間協定~Trillenium~三者金委員会

1921年、日本の裕仁天皇は、英国のロイド・ジョージ5世、米国のウォーレン・ハーディング大統領、そしてジョージ・クレメンスーのフランス首相と会うためにロンドンに飛んだ(全員フリーメーソン)。目的は、第二次世界大戦を「作成」し、資金を調達することでした。連邦準備制度は、戦時中ドイツのナチスにも資金を提供する。
「1921年国家間協定」で裕仁天皇と合意した当初の取り決めによれば、日本人はこの金の大半をインドネシア(当時オランダ植民地)とフィリピン(当時米国植民地)に渡し、ほとんどが1924年から1945年の間に日本人が建設した秘密の塹壕に隠された。

1929年ニューヨークの「株式市場クラッシュ」

1929年、米連邦準備理事会(ロスチャイルド代理店のJPモルガン、シティバンク、チェースマンハッタン銀行)の民間所有者たちは、人為的に株式市場の崩壊を起こして小規模の銀行や個人投資家を騙した後、ロスチャイルドの代理店が米国株式市場の大部分を安く買い叩きました。それヨーロッパにも波及効果をもたらし、わずかな資金で国際企業を買収することを可能にしました。

共和党下院議員ルイス・マクファデンは1929年の株価クラッシュは国際銀行家によるテロだと断定した後すぐに毒殺された

蒋介石の国民党とグローバル担保口座契約

1911年の秋、中国の南部では、1911年の辛亥革命と呼ばれる清(満州)王朝に対する蜂起が起こり、中華民国を設立し、王制を終結させることを目標とした。

孫文は、最初の反乱時に資金援助ツアーで米国に行きました。そして彼はロンドンとパリに急いで行って、清政府に財政的、軍事的支援を提供しないように頼んだ。彼らは中華民国の初代大統領として孫文を「選出」した。

中国への投資を行っている外国勢力は、第1回と第2回の「アヘン戦争」を通じて清から得た条約の権利を延長することを切望していたが、激動の中では中立的であった。

その中、米国は共和国プロジェクト=反王制の支持者だった。1913年には米国が中華民国との外交関係を確立した最初の国となった。英国、日本、ロシアはすぐに続いた。

1927年から1938年の間に、宋子文(サッスーン系の中国大蔵大臣、宋家三姉妹の兄弟)とヘンリー・モルゲンタウ(米国財務省長官)との間の協定の結果、米国は5,000万オンスの銀を購入し、膨大な金を1928年に蒋介石指導下にある国民党から借り受けた。中国から納入された貴金属の代償として、中国と米国の協定に従って「証明書」が与えられた。この時期、すで中国の一部は日本軍に占領され、中華民国は日本人によって支配されることを恐れていた。

1928年と1934年の連邦準備制度券(米ドル)は、国民党の金を裏付けとして発行され、台湾の中国政府は財政的に継続することができました。

1934年米債券と金泥棒

1934年に、新たな債券法と金準備法が米国で公布された。それは金と金コインを不法に運営されている民間企業である連邦準備制度(FED)に差し出して、それを担保に米ドルを発行することを意味した。米国内の金は全て購入された。財務省が保有する外国金もまたFEDに譲渡され、その金が担保となり一連の1934年ドルが発行された。これらの米ドルは一度も償還されておらず、未払利息はその後の1968年の一連のケネディ債の発行によって満たされた。

1934年の一連の米ドルは中国の内戦の全期間を通じて中国の国民党の事業を支援するために発行された。これらの1934年の米ドルは中華民国政府が財政的に継続できるようにしました。国民党の金はスイス連邦銀行(UBS)の口座に記載され、スイス司法長官の保護下に置かれ、スイス国立銀行を通じて国際決済銀行(BIS)に登録されました。そして制度上FRBの新規登録口座を作るためにその金口座はブロックされました。

中国の戦争中、中国銀行が発行した預金証書の所有者のほとんどは、日本軍と国民党、中共共産党によって殺されたため、その金証書は特に国民党の財産になった。

蒋介石以下、国民党が台湾に逃げなければならない時、連邦準備券(米ドル)は共産党中国にも残っていた。さらに金証書は、連邦準備券の多く(しかしすべてではない)を台湾に移した国民党によって国有化され、台湾の富の基盤として発展し、基盤となった。

中国の連邦準備券は、金の裏付けがあり価値あるものだったので米国政府によって購入されるか借りられました。国民党はこのゴールドと米国が発行した有価証券を保護する目的でガーディアンを任命しました。それらの者たちは「ドラゴンファミリー」と婉曲的に知られるようになった。

アジアの「ドラゴンファミリー」組織

1934年、彼らはドラゴンファミリーとして知られるようになりました。ドラゴンファミリーは、実際には、中国と台湾の古い家族の間で、2つに政治的分断してしまった中国政府間で活動する組織です。
中国人は、古い家族関係や機能は、政治的取り決めに取って代わる点で世代を超えて持続する可能性はあるものの、ほとんどの中国人にとって、時間の経過とともに重要ではないと考えられる傾向が顕著です。

ドラゴンファミリーのモットーは、世界の繁栄と善のために動くことで、世界金融組織、300人委員会、特に連邦準備制度(FRB)などのより高レベルの組織と調整を重ねています。

ドラゴンファミリーが米国政府に貸付した担保資産は、金と銀でした。したがって、米国政府はFRBシステムを通じて巨額の米ドルを発行することができました。

両者の20世紀以降の関係の過程で、ドラゴンファミリーは、連邦準備制度に様々な債券、および証書の形で、巨額の富を貸し付けています。これらの債券価値は数十兆ドルに達しています。

第二次世界大戦の終わり、共産党と国民党の争いの中で、国際社会と中国は金がインドネシアのスカルノ大統領の支配下に置かれることに同意した。(1921年ロンドンの国際連盟条約が合意された通り、金塊はインドネシアとフィリピンの、1924年から1945年の間に日本人によって建設された秘密の塹壕に隠されていた)過去10年間、ドラゴンファミリーは、米国のハリケーンカトリーナを含む世界中の国々への災害の救援、地震などの多くの世界的な人道的支援をする目的で、数十億ドルの米ドルを寄付しようと試みて来ました。チェルノブイリの原子力災害、ジョージアのインフラ整備、ケイマン諸島、バングラデシュなどの水とエネルギー供給の再構築など、さまざまな活動を行っています。

1944年ブレトンウッズ協定:パワーブロック・クーデター

1944年7月1日から7月22日まで、ニューハンプシャー州ブレトンウッドで開催された国連通貨金融会議では、国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行、そして最も重要な、調整可能な固定為替レート制度の導入を提案した。米ドルは金に固定され、IMFは支払いの不均衡が生じたときに介入する権限を与えられた。

真実は、1944年に英国、フランス、米国が世界金融システムの世界支配の任期を50年与えられ、地球全体を開発して近代化することになっていました。しかしルーズベルトが毒殺され(暗殺され)、世界の金の大部分が盗まれ、ブラックリストに載せられたり、洞窟に隠されたりした。これにより、ファシストグループのクーデターが成功し、不換紙幣制度により世界支配を確定することができました。軍産複合体は、地球を開発する代わりに、世界への泥棒行為を開始しました。

~翻訳終わり~

グリーンヒルトン協定の8日後ケネディが暗殺、オバマの義父のインドネシアCIA革命につづく

 

 

 

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