イスラエルと中国、シオニズムと中国の関係

このKERRY BOLTONという人が書いたイスラエルと中国の外交関係の概要が分かりやすかったので翻訳してみました。主に2000年以前の近代~現代です。

The Alliance Between China and Zionism

翻訳開始↓↓↓↓↓↓↓↓

 

イスラエルと中国の関係は、中国がイスラム世界とパレスチナ解放機構(PLO)を支持していることから、1980年代以前は事実上存在しなかった。両国は1980年代に軍事関係を構築し、1992年に正式に外交関係を樹立した。

毛沢東主義の中国とイスラエルの間には長い歴史があり、両国とも同じ時期に出現し、同じ革命的なマルクス主義の熱意を持っている。Chinese Jewsの著者Rabbi Jacob S Raisinによると、聖書にはユダヤ人たちによって「Sinim」が復興されることを預言したイザヤ書がある。このSinimとは秦のことだと言う研究者たちがいる。つまり秦の時代にすでにユダヤ人はヨルダンと越え、コーカサス、トルキスタン、チベットを抜け黄河にまで至って王朝を築いたと主張している。

1640年代、ユダヤ人を保護していた明朝に対する反乱があった。カイ・フン・フー(現在の河南省開封市)の街が陥落し、そのシナゴーグは破壊された(反乱はユダヤ人の影響力に反抗したものだった)。しかし1663年にチャオ・ヨン・チェンという名前の「中華系ユダヤ人」が軍隊を率いて街を奪還し、シナゴーグを再建した。この歴史はシナゴーグに刻印された。

 

1839年と1858-60年のアヘン戦争は、大英帝国の保護下でアヘン貿易を支配していたサッスーン家を追い出す試みだった。清朝=満州皇帝はアヘン貿易を止めようとしたが、敗北し中国全体のアヘン貿易は延長された。

宋子文(そうしぶん、1894-1971年)は中国において、ユダヤ人のサッスーン系銀行の頭取だった。彼は中国中央銀行総裁と財務大臣(1928-31年、1932-33年)など、国民党政権において、数多くの重要なポストについていた。外務大臣(1942-45)、それから行政院長(1945-47年)にもなった。国民党と共産党の仲裁に失敗した後、彼は米国に移った。宋子文の「ユダヤ性」は1944年のユダヤ人百科事典にある「サスーン家はユダヤ人しか雇わない」に推測される。

宋子文の姉、宋慶齢は1914年に革命リーダー孫文と結婚した。1925年、孫文の死後、彼女は国民党中央委員会に選出されるも、1927年に共産主義者の追放に抗議して辞任した。しかし1937年、日中戦争の勃発は彼女を1946年まで国民党と和解させた。1949年からは中国共産党副主席を務めた。

もう一人の姉妹、孫美齢は、1927年に孫文の後継者である蒋介石と結婚した。1945年に国民党の中央実行委員に就任した。

1925年に孫文が死亡したとき、サッスーン家の300万ドルの現金が宋子文経由で蒋介石に送られた。

蒋介石の下では、ドイツから来たユダヤ人難民が重要な役職を占めた。ベルリン警察の前副長官だったベルンハルト・ワイス博士は、中国警察の再編を主導した。カスティーリャ・ユダヤ人百科事典によると「多くのユダヤ系ドイツ人将校たちが蒋介石の軍隊に入隊した」とある。ミリアム・カルネスは中国人女性兵士の大隊を設立、Moshe Cohen将軍は国民党軍のための兵站供給を組織した。

中国 – シオニスト関係2002年、イスラエルと中国は両国の外交関係樹立10周年を記念して、記念切手を発行した。これは実は嘘で、両国の関係は、イスラエルと中国共産党の創設当初から始まっていた。 

上海欧州学会のGuang Pan教授は、中東における中国の役割を概説した。その中で、イスラエルと関連して次のような顕著な事実がある。

イスラエルを除いて、1949-1955年の期間中、独立中東諸国はレッド・チャイナ=中国共産党を認めなかった。1950年、アラブ連盟は法的にレッド・チャイナではなく、台湾を認定するよう投票した。アラブ諸国は、レッド・チャイナがUNOに加盟することに反対したがイスラエルは中国を支持した。中国は中東の指導者たちを「反革命的な支配者」「封建独裁者」だと非難した。1952年のエジプトの7月革命後ですら、中国政府はエジプトを『反革命軍事独裁者』だとした。中東では唯一の例外として批判しなかったのはイスラエルだ。中国メディアは、1948年のイスラエル建国を歓迎し、英国が反ユダヤ戦争を開始するためにアラブの「反革命的支配」を扇動していると非難した。

1950年代から1960年代にかけて、中国は米国やその他西側諸国の親イスラエルの立場から、西側諸国からますます疎遠になったアラブ諸国に影響を与えようとした。打って変わって1980年代半ばから、中国は親アラブと反イスラエルとして自らを表明した。しかしながら1960-61年の中国ソ連の反目で、ソ連同盟であったエジプトとシリアに対する中国の態度が冷めた。反ロシアの態度は、1966-76年の10年間の中国の基礎的態度だったとグァン・パン教授は次のように述べた。反ソ連の態度をベースとして発展した積極的な中東外交の一環として、北京は1971年8月から11月の間にトルコ、イラン、レバノンの親西側諸国3カ国との外交関係を樹立した。

しかし、アラブ世界との関係を危うくしてまでイスラエルとの接触を取り戻すことはしなかった。1971年には中国とイスラエルはソビエト連邦という共通の敵を抱えていたにもかかわらず。ロシア国境では中国の歩兵が、エジプトとシリア上空ではイスラエルのパイロットとソ連が戦っていた。

1971年、周恩来はヘンリー・ジャクソン上院議員(米民主党)に、中東におけるソビエトの拡大を阻止するためにイスラエルを支持する、と語った。1971年以降、北京は、エジプトのアンワル・サダト、スーダンのモハメド・アン=ヌメイリやその他のアラブの指導者たちによるソ連追放を支持した。

1977年以降、中国はすべての中東諸国との接触を確立しようと努め、1992年にイスラエルと正式な関係を樹立した。中国が対ソ連戦略としてアラブ諸国との関係を促進してきたことがイスラエルの役に立っていたことに留意すべきである。特に、イスラエルのモサドは「イスラエルで最大の富豪」シャウル・アイゼンベルクを通じて中国を秘密裏に武装化して来た。モサドの亡命者Victory Ostrovskyは「アイゼンベルクはモサドの中国調停役」だと言う。

イスラエル人ジャーナリスト、ウリ・ダンは1997年3月30日にニューヨークポスト紙に「1979年、イスラエルのメナヘム首相が、シャウル・アイゼンベルクの中国軍の近代化のための100億ドルの10年契約を承認する許可をアメリカから得た」と報告した。「ソ連の軍事力へのカウンターバランスを強化する」「イスラエルの歴史の中で最も重要なものの一つ」としてこの取引について説明した。ウリ・ダンによると「中国は絶対的な秘密取引を要求した」という。

イスラエルの役割は中国のために、米製の洗練された兵器を含む主要武器サプライヤーになることだった。もちろんこのことはいくつかのスキャンダルにもなった。1999年ニューヨーク・タイムズ紙は「イスラエルは中国との緊密で長期的な秘密主義に基づく軍事的関係があるとし、軍事専門家は、近年の武器販売の数十億ドルをもたらし、このことが米国にとって懸念材料になる、と述べた。

イスラエル航空機産業の子会社であるEltaは、中国空軍向けの洗練されたレーダーシステムPhalconを設計した。

1999年の報告によるとイスラエルは中国にとって第2位の兵器サプライヤーだ。ワシントンのヘンリー・L・スティムソンセンターによる最近の報告によると、イスラエルは、中国に戦車、通信機器、光学機器用の電子部品、航空機、ミサイルを供給した。完全な外交関係は1997年まで確立されなかったが取引は少なくとも20年前に始まっていた。「中国とイスラエルの両国は、武器や技術移転関係から軍事的、政治的利益を得るようだ」と同報告書は指摘する。「中国からの資金調達に加えて、イスラエル関係者の中には、軍事技術を中国に売却することは、中東のイスラエルの敵に特定の武器を売却しないという北京の合意を保証すると主張している」

重要なのは97年まで完全な外交関係は確立されていなかったが、1970年代以降、兵器や技術移転に関わる秘密の関係が続いていたと言う事だ。

  
 イスラエルの先進軍事システムの中国への移転に関する米国の抗議は空振りに終わったのは米国も中国と同じような関係にあったからだ。(アイゼンベルクと中国の秘密兵器取引を承認して以来)

クリントン政権時のある報告書:ビル・クリントンは、中国への武器輸出をより簡単にするために先進的な米国技術の輸出許可を承認するための第一法的権限を、安全保障を重視する国務省から政治意識の高い商務省に移した。 

クリントン大統領はまた、Loral Space and CommunicationsとHughes Electronicsの2社に対し、機密技術を中国に移譲するための輸出免除を承認した唯一の大統領でもある。クリントン大統領は国務長官、ペンタゴンから反対を受けたにも関わらず、衛星とミサイル発射技術に関するデータを中国へ輸出することを承認した。イスラエルと中国の間の先進兵器技術に関する契約が公になるとこの取引はキャンセルになった。エルサレムのベンヤミン・ベン・エリエゼル国防相は、テルアビブでパン・チャンリン中国大使と会談し、イスラエルの最新式ファルコンレーダーシステム売却のキャンセルについて議論した。

 

エリエゼル国防相は「これを2国間の危機としてではなく、家族内で起こった事件であると見るべきです」と2国間関係を表し、北京との防衛関係を強化するために働くことを約束した。チャンリン大使は「中国が困難を克服し、関係を強化する方法を知っている。中国は完全にイスラエルと協力する準備ができている」と述べている。この取引は、米国で懸念が表明されたためにキャンセルされただけだった。

2009年、イスラエル‐中国間で多くの貿易が行われている広東省広州にイスラエル領事館が新設された。 

 

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